作品
Ads by Google |
Amazon.co.jp |
INAZUMA稲妻
もっと詳しく『INAZUMA 稲妻』のスタッフのコメント 西山洋市の他の作品について 『死なば諸共』 『死なば諸共』について(西山洋市) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060826/p2 演出的には、「江戸の人々にとっての現代劇」というコンセプトを志向し、それについて思考し、かつ試行中であるような実験的な娯楽映画になっています。 死なば諸共のシナリオ工程(片桐絵梨子) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060829/p1 ある日、西山洋市氏よりシナリオの依頼。井原西鶴著『死なば諸共の木刀』。西山氏の言葉、「時代劇のつもりで書いていいよ。片桐、こういうの得意だろ?」 『死なば諸共』に関する覚書(井川耕一郎) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061021 『死なば諸共』では、「見ることの罪」から一歩踏みこんで、「演出することの暴力」とでも呼ぶべきものを観客は意識することになる。 『桶屋』(シネマGOラウンドの一篇) 乾杯!ゴキゲン野郎(シネマ)〜シネマGOラウンドによせて〜(常本琢招) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060804/p1 『桶屋』にはとにかく笑わせられたなア。西山さんの映画はいつもクイクイと見せられて、終わったあとにこの人なんでこんな発想できるんだろうと慄然とさせられるの。 「夏祭@映美」によせて(大工原正樹) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060818/p1 「シネマGOラウンド」はオムニバス映画という体裁で上映されることが多いらしいのだが、この4本はオムニバスの形式にはなっていない。真っ向勝負、全力投球の濃密な短編映画4本の競作、と謳った方が観る人に心構えが出来て親切だ。 西山洋市のエッセイなど 高橋洋との対話(1) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060617/p1 僕は、演出的には「役のノリ」を掴んでもらうと言ったほうがいいのではないかと思います。「ノリ」というと音楽的で軽いニュアンスの言葉ですが、役をある音楽的なトーンで掴まえて、それにノッて歌い踊るかのようなイメージの「ノリ」で、ノッてもらうにはエモーショナルなきっかけが必要です。 高橋洋との対話(2) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060714/p1 「ノリ」というのはそういうふうにいろいろ解釈したりしない、考えない状態で、役を演じて見せている、開かれた状態というのか、ひとつの意味だけに収束していない、つまり自由な感じです。 『西みがき』の演技の演出について(西山洋市) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061018/p1 『西みがき』の出演者たちの演技は一見「ナチュラル」に見えるかもしれない。だが、実は『西みがき』はいわゆる「ナチュラル」を指向してはいない。出演者たちの演技は、ある出来事を「再現してみせる」ことのフィクション性を指向しているように僕には見える。 大工原正樹の『未亡人誘惑下宿』から演出のコンセプトを掘り返す(西山洋市) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061205/p2 「恋愛」そのものではなく、存在しない「恋愛」の幻想によって男女の偽の「ラブストーリー」を組み立てること、それが、この映画における大工原正樹の演出のメインのコンセプトだと思われる。 『のぞき屋稼業・恥辱の盗撮』で描かれなかった顔についてみんなに聞きたい(西山洋市) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070121/p2 だが、犯人は、その時、どんな顔をしていたのか、やはり気になる。もし撮っていたとしたら、堀内正美はどんな顔を見せてくれただろうか? 井川耕一郎への返信(西山洋市) http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070606 自主製作映画のときの出演者の素の魅力を基にして役を立ち上げるというやり方と、それとは正反対の、役者のうまさで立ち上がっている役にさらに役者の素の魅力を盛り込むにはどうすればいいのか、という2方向のアプローチから、より意識的にフィクションとしての芝居のあり方と役者の演出について考え始めたのだと思います。 |


